戦争と整体の関りは深い。
整体法の創始者は1911年生まれ。12歳の時に関東大震災に被災し、震災後の衛生環境の悪化で起きたチフスや赤痢による、今風に言えば「パンデミック」で苦しんでいる人々に手を当てたところ、多くの人の症状が回復したという経験が治療家としての目覚めだそうです。
1945年の東京大空襲にも被災され、家財をほとんど焼失しましたが、整体は自分の両手だけあればやっていける。
戦争で食料が無いので、良家の子女でも着物を抱えて農家に頼み込み、わずかな米や野菜と交換してもらっていた時期で、多くの医者も薬が無いため、診療ができず困窮しました。
しかし疎開先でも、創始者のもとには治療を求める農家の方々が行列をなし、食うに困ることはなかったと言います。
そのような混乱期を生き抜いてきた方ですので、その言葉には深い含蓄と魅力があるのですが、彼とともに生き抜いてきた「整体法」にも同様に、歴史の試練を耐えてきた技術としての深みがあります。
私が2023年ごろオランダで診ていた患者さんに、ウクライナ人の女性がおりました。オランダ人の夫と結婚し、豊かな暮らしはしているのですが、祖国がロシアに侵攻されて、無理もありませんが心労のあまり倒れてしまいました。
鬱状態で、家から出る気力も体力も無くなっていましたが、子供の頃サハリンに住んでいらして、時々札幌に買い物に来ては「日本はなんて素敵な国なんだろう」と感じた良い思い出があるそうで、日本の療術である整体にも興味を持って連絡してくださいました。
お体を拝見すると、とにかく肝臓が硬い。「ラッポール」とか「内観の感応」と言うのですが、お腹に手を当てると深い、深い哀しみの気持ちがこちらにも沁みとおってきます。それを下腹で受け止めて、温かい気を送り返していくと、肝臓が少しゆるんできて、ホーッと深い呼吸をしてくれました。
鬱の体の特徴ですが、肺がしぼんだ風船のように下がってしまい、肋骨も一緒に下がってブラインドを閉じたようになっています。肋間筋をゆるめることでこれを開いて肋骨を持ち上げ、肺の風船を少し膨らませてやると、酸素が入ってきてエネルギーが燃えてきます。
それでも、「生まれ育った国が侵略されている」という想いがありますので、元気になる、ということは難しかったのですが、私の操法(施術)のたびに息継ぎができるようなもので、往診を心待ちにしてくださっておりました。
2024年には、パレスチナ人の患者さんを診ていました。ガザへの大規模な侵攻が始まった後です。気丈な方で、「ストレスが多くてね」と澄ましていましたが、聞いているこちらは、母国が滅ぼされつつある以上のストレスなどあるものか、と胸が詰まりました。
彼は心臓が強かったので「肺が下がる」傾向は小さかったものの、血圧が上がって心臓と脳への強い負担がありました。それでも、お体をゆるめると元気そうにされていたので驚きましたが、それには理由がありました。
彼はチベット仏教に傾倒していたのです。日本でもダライ・ラマが有名ですが、これはチベット民族の苦難の歴史に洗練された宗教で、怒りや苦しみを「慈悲に育てる種」として、ありのまま受け入れる瞑想などがあるそうです。
瞑想や祈りの持つパワーに驚きましたが、同時に数回の施術でストレス性のIBS(過敏性腸症候群)が改善し、心理的にも落ち着いてきたそうで、整体の効果にも驚かされました。
また、ヨガ教師をされているインド人女性に「私の体はどこに特徴がありますか?」と聞かれたこともありました。わたしが気で全身をスキャンすると、何となくミゾオチに手が引き寄せられたのですが、その瞬間に
「そこです。数日前に子どもが死にました」
と寂しそうに微笑まれました。そこは心痛の急所でした。やはり「内観の感応」で深い哀しみの気が私の中に流れ込んできたのですが、その時に私は
祖国を滅ぼされる哀しみも、我が子を失う哀しみも等価かも知れない
と身体感覚を通じて学びました。想像を絶する哀しみからも瞑想で救われる人があるように、全てはこころひとつなのかも知れない。そして、整体では「心と体はひとつ」と言いますが、体を変えて心を救うこともできるかも知れない。私はそれを手伝いたい、と強く思いました。
整体法では「滝に打たれれば丈夫になるが、雨に濡れると風邪をひく。」「断食で食べなければ健康になるが、食べられないと思うと衰弱する」というような言い方をします。
チベット仏教のように、「民族を殺される苦しみも、慈悲の心を育てる種」とまで受け止められるようになるには、厳しい修業が必要だと思いますが、いずれにせよ、
現実は同じでも、能動的に受け止めるか、受動的に受け止めるかの「心の方向性」で、その影響はポジティブにもネガティブに変わる
という事です。
心の向きを変えるには、空想の力を用いるのがよい、と創始者は言っています。今風に言えば「リフレーミング」だと思いますが、今ある思い込み、世界を観る枠組みをガラリと変えてみる。
· 人体は常に破壊と建設、「新陳代謝」を繰り返しており、1日生きるということは1日死ぬという事である。生と死は1枚のコインの裏表である。
· 病気も長い周期での破壊と建設、広い意味での新陳代謝なので、健康な人の中にも病いがあり、病人の中にも健やかさがある。
· 最も短い周期での破壊と建設は吐く息と吸う息、つまり呼吸である。
· 人類の歴史は闘争の歴史でもあった。平和の中にも戦争はあり、戦争の中にも平和がある。
ビクビク生きても、ワクワク生きても、どちらにしても私はまだ生きている。
ならば、深い息をしよう。背骨に呼吸を通そう。そうすれば酸素は燃え、神経細胞は火花を放ち、欲求が湧いてくる。その欲求にしたがって今日を生きよう。
全力で行動し、感覚して一日、一日を味わい尽くそう。
パンデミックや戦争の時代を生き抜いた創始者の、整体の思想は今もなお輝き続けています。
(2026.3.31)